■□■□■□■ ひろしまのこえ ■□■□■□■

        ドイツからの声です

 ドイツ在住の日本人、KIさんから、当サイト宛に「こえ」が届きました。ご紹介いたします。

 

 「秘密法に反対する全国ネットワーク」に参加されているということを知り、賛同の気持ちをお伝えしたくて、このメールを送らせていただいています。私たちは 日本の未来に大変危機感を持っている ドイツ在住の日本人とその家族です。
 私たちも、昨年12月に強行採決となった特定秘密保護法には断固として反対し、施行前に廃止させなくてはと危機感をつのらせています。知れば知るほど恐ろしい法律で、ほっておけば、日本は戦前のような国に戻ってしまうのではと恐怖さえ感じています。 
 また、施行前の現在ですらすでに、「空気を読む」ことが暗黙のうちに強要され、政府の方針に反することは自由に発言できない雰囲気が充満しているという印象を受けます。NHKはもとより大手メディアがどうも真実を伝えていないのではないかという疑惑が、原発事故以来どんどん深まっています。

 そして、去年の春以来、日本に住む親類縁者や知人たちの口から、中国、韓国、北朝鮮に対する警戒心や敵意、時には憎悪さえ感じさせる言葉が次々に出るようになりました。多分国内で敵対心を煽るような報道がされているのではと想像しています。このままではどうなるのかと非常に危ぶまれます。 
 日本が近隣諸国に対する敵対心を強めているという報道は、最近のこちらのメディアでもあいついでいます。日本をなるべく客観的に外から眺めることも必要と思い、その記事のうちいくつかを翻訳しましたので、添付の資料を是非ごらんください。(資料省略) 
  国内に住んでいないため、メールをあちこちに送るよりほかに、反対の意思表示をする手立てがないのが非常に残念です。
 皆様の運動の成果があることを心よりお祈りしています。 
                       2014年  2月  11日        

           父の教え

 父は、職業軍人でした。私が小学校低学年頃は、再々、父の布団にもぐりこみ、「お父ちゃんの昔話を聞かせて」とよくせがんでいました。父は、戦中八月一五日には、四国松山の海軍航空隊に所属し、敗戦を迎えました。戦後は、生まれ故郷の山口県に帰り心機一転、商売を行い生計を立てて、私たち四人の子供を育ててくれました。
 父の話を布団の中で子守唄を聞くように何回も何回も聞いたことは、今でも脳裏から離れることはありません。父は、好きで職業軍人になったのではありません。尋常高等小学校を卒業して直ぐに岩国市の醤油問屋に丁稚奉公に行かされましたが、一生食べていくためには、軍人になるしかないと思い、徴兵検査,甲種合格となり海軍に入ったそうです。
 しかし、海軍も甘い生活ではなく、新兵ですから毎日毎日、上官や先輩達に殴られたそうです。やがて、数年たち父も、教員資格を取り、新兵教育の班長を務めたことがあるそうです。班長時代、「自分は、先輩達から殴られた。だけど、自分は、殴らんがったぞ」 と子供の私にしつこいくらい話してくれました。殴られて初めて、人の痛みが分かる。だから、人の痛みが分かるようになれよと言い聞かされました。また、戦争体験では、駆逐艦「天霧」に特務機関兵として乗務していた時、たまたま昼飯の後で看板上で休憩をしていた時、アメリカの潜水艦から魚雷攻撃を受け、海に放り出されたそうです。その時、休憩時間でなかったら、この世に私の存在はあり得ませんでした。海に投げ出され漂流すること二日間、グラマンからの機銃掃射、隣の兵隊が死んでいる、しつこく機銃掃射を受ける、その度に何人かの人間が死んでいる。そんな極限の状態にいたときは、人間の死なんて何の感情も持たなくなっていた事にあとから気が付いたと話していました。
 父の体験談を子守唄代わりに聞かされていた私ですが、父は、職業軍人でありましたが、戦争の愚かさ、人間を人間でなくしてしまう戦争に・・・心の底からイヤダ絶対イヤダと言っていました。
 最大の人権侵害は、戦争です。世界から戦争をなくしていくためにも、現代の憲法を権力者に守らせること。日本を世界の普通の国にするのではなく、日本を世界の理想の国にすることが、私たちが努力するべき道だと思います。
 最後に、父の教えは、必ず守ります。  

                    (品川 康博 62歳)

                       〈2014.2.1掲載〉           

      <投稿>  「秘密」の断面

 私の父は、島根県の村役場で長く「徴兵係」を勤めていました。
 「赤紙」の届いた村の若者を、浜田市の連隊へ引率し、戦場へ送り出す任務です。
  父は実直な愛国者で、国民の祝祭日には、朝起きるとすぐに日の丸の旗を玄関先に掲げていました。
  その父は41年前亡くなりましたが、死後遺品を整理していると、村役場の事務用箋の分厚い綴りが見つかりました。
  徴兵業務の記録を綴じ込んだものでした。
  全くの事務的な業務の記録が淡々と記載されているだけで、父の個人的な感情などは一切書かれてはいませんでした。
  しかし最後のページに、ひとこと。
  「即刻処分するよう指示があったが、それは忍びない。密かに持ち帰り保存するものである」といった父の肉筆が残されていました。
  68年前、1人の山里の役場吏員が関わったひとつの『秘密』の断面です。
  きょう、12月8日は「開戦記念日」です。         

                         (山本喜介)

<投稿> 千人が集まった秘密保護法反対デモ 

 2013年12月6日。私はこの日を忘れない。なぜなら、第2次安倍政権の「終わりの始まりの日」にしようと、誓ったからである。
  「朝日」50%、「毎日」59%、「日経」50%。これは、新聞各紙による直近の世論調査で、秘密保護法に「反対」の数字である。いずれも「反対」が「賛成」を大きく上回り、過半数を占めた。どの世論調査でも「この国会で成立を強行するのでなく、慎重な審議を」が8割にものぼった。
  12月6日、深夜。政府と自民・公明は多くの国民が反対する秘密保護法案を再び、今度は参院本会議で強行採決し、成立させた。
  この日、師走の風が身に沁みる夕方の6時前から、広島の原爆ドーム前には続々と市民が集まり始めた。幼い子どもを肩車したお父さんもいる。赤いジャンパーを着た女の子の手を引いたお母さんも。私のかつての同僚や、組合活動を一緒にした懐かしい仲間の姿もあった。老いも若きも、広場を埋め尽くした。デモ行進の途中にも、沿道から隊列に加わる人が後を絶たない。デモの隊列は最終的には1000人になった。
  安倍政権と自民・公明与党は、この市民の声を無視した。わざと耳を傾けようとしなかった。この秘密保護法案なるものは、審議すればするほどその内容の危険性が浮かび上がり、反対の声が広がった。あらためて書くまでもないほどだ。私たちの目、耳、口をふさぎ、私たちの国を「戦争をする国」にするためのものであることが明らかになった。
  

 そして悪法が成立した今、心に刻んでおかなければならないことがある。それは、秘密保護法が憲法に明白に違反していることだ。秘密保護法は、憲法の基本原理である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義をことごとく踏みつけにする違憲立法である。与党である自民・公明が国会の中で多数を握っているからといって、憲法に反する法律を作ることは絶対にできない。
  私たちのたたかいは、これから始まる。負け惜しみではない。秘密保護法の施行は1年後である。希代の悪法は成立はしたけれども、施行させず、廃止することができる。政府・与党はなぜ、こんなに成立を急いだのか。それは、日に日に安倍自公政権の本質が明らかになり、市民が「この政権には未来がない」ことに確信を持ち、思想信条を超えてつながっていくのを、心から恐れたからである。
  思えば、「STOP!国家秘密法 広島ネットワーク」が発足したのは10月15日だった。まだ2カ月もたっていない。結成集会に集まった市民は100人だった。10日余りの準備で、これだけの人たちが集まってくださったことにまず驚いた。11月2日の初めてのデモは200人で歩いた。21日の集会とデモには350人が参加した。そして12月6日の集会とデモの参加者は1000人。結成集会の10倍である。
  私はここに希望を見る。戦前に後戻りする暗黒社会を再現しようとする安倍政権に、はっきりと「NO!」をつきつける多くの市民たちがいる。
  2013年12月6日を、安倍政権の「終わりの始まり」の日にしよう。

                         (難波健治)

2014年7月1日 閣議決定反対デモ
2014年7月1日 閣議決定反対デモ
12・6秘密法案廃案デモ・広島
12・6秘密法案廃案デモ・広島

秘密保護法廃止 新・署名用紙(広島版)

秘密法廃止署名用紙(改定稿).pdf
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「秘密保護法」廃案へ!実行委員会    (東京)

http://www.himituho.com/

秘密保全法廃止をめざす愛知の会

http://nohimityu.exblog.jp/i7

秘密保護法廃止をめざす藤沢の会

http://fujisawa.boy/

秘密保護法やだネット長野

http://himitsuteppai.jimdo.com/